【映画】精神/想田和弘

精神科のドキュメンタリー映画である。よく、顔にモザイクをかけている映像があるが、この映画ではかけていない。名前も仮名ではない。

それにしても精神の病を持っている人は大変だなあ。本当につらそうだ。
映画の最後で、出演者の3人がなくなったとのコメントがあった。
亡くなったのは、世間話をしていても心ここにあらず、といううつろな表情だった女性、いびきをかいて待合室で眠り、起きてからもずっと極度に憂鬱そうだった東大卒の医師、映画の中では笑顔もあり、わりあいに明るくみえた鬱病の女性だった。

スガノさんというおっさんが中でも印象に残った。
学生の頃に1日十何時間勉強し続けて発病したとのことだった。カメラをとっている監督にむかって名言のような事を言い、自分でカットと言っては爆笑するおっさんだ。

割れたガラスをなぞりながら
「僕のこころはなあ、こういうふうになっとるんよ。だけどな、このガラスからは、ふつうのガラスとは違うもんがでている。なにか言うたらそれは、優しさ、うん、優しいという字は、にんべんに憂いと書くやろ、憂いが多い人ほどやさしいんや。…はいカット!!(爆笑)」
「自分の心の傷をいやす最良の方法はなんかいうたらな、相手の傷に包帯を巻くことなん。そしたら自分の傷がいやされる。経験あるでしょ。な。それから人の悩みを聴いたりしよったら、自分の心の傷もいやされる。…カット!!(爆笑)」

そのおっさんにとても心が惹かれた。ほんとうに、何か別の人とは違うものがにじみ出ている感じがした。

病や不幸を克服する人はその分だけ学び奇跡のように偉大になっていくのだと思う。

(柳川)

精神公式サイト
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php

【映画】しんぼる/松本人志

たとえば同じお笑い芸人の北野武の映画との違いは、たけしの映画が、お笑いの要素がほとんどない、つまり映画ではお笑いとは別の面を表現しているのに対して、松本人志の場合は、すくなくとも今の時点ではお笑いそのものの映画であることだ。お笑いそのものの賛美の映画のような気がする。
世界創造というテーマは、まじめくさって語られる事が多い。この映画では、お笑いが世界創造と直結している。これがとてもいいなと思う。
松本人志にとって、お笑いとは、世界創造と同じくらい神聖なものなのかもしれない、そういう思想をかいま見たような気がする。
ユダヤ教よりもっと前の神話はまじめくさっていず、おもしろおかしく語られていたという。それに近い解放感を感じた。(柳川)

池田龍雄さんのイベントを見つけました

昨日、ちょうど授業で話題になっていた池田龍雄さんのイベントをネットで見つけましたので、転載します。
(柳川)



東京バビロン ダンスセレクション
ポンペイの落書き#03/FINAL』
―私と一緒に踊ったことを憶えていて?
 
2009.9/29-10/5
会場 pit 北/区域 (アクセス)
※JR京浜東北線王子駅」より徒歩2分。
東京バビロンの劇場は2つございます。劇場名を必ずご確認下さい。
 
時間   開場 19:00   開演 19:30
 
料金 前売 2,500円 当日 3,000円 ペア 4,000円
2日券 4,000円 3日券 5,000円 通し券 7,000円
※全席自由・ペア券は予約のみ


公演名:「ある日、池田クンが」

出 演:池田龍雄+飯田晃一

開催日:2009年10月3日(土)開 場:19時00分 開 演:19時30分

第1部 飯田晃一(×池田龍雄) 

池田龍雄土方巽と同年の1928生。「戦後前衛美術」の代表作家。1948年、岡本太郎らが始めた「アヴァンギャルド芸術研究会」に参加。以後、絵画、立体、舞台美術、映像、パフォーマンス、著作とその活動は多岐に亘り、現在に至る。

【飯田晃一】キューバ革命の契機となった7月26日運動と同日生まれ。原爆ドーム第五福竜丸などでの「世界中が劇場である」プロジェクト。首くくり栲象氏やゼロ次元との交流。今回、池田龍雄氏と「梵天の塔」とともに共演させて頂きます。
http://artbody-labo.net/  ab_labo@hotmail.co.jp

アロイーズ展/ワタリウム美術館

アロイーズは統合失調症だった。親しくした研究者によると、アロイーズは透視能力があったそうだ。何もかもがわかっていた。
アロイーズの絵を見ると不安になる。私が知らない、真実の世界がそこにあるからかもしれない。
(柳川)

内田輝三重奏団/6月29日エアジンにて

横浜のエアジンに内田さんの演奏を聴きに行ってきた。メンバーは以下の通り。
内田輝(ss)/かみむら泰一(ts)村中俊之(cello)
みんなに連絡したのに、なんでこなかったんですか。才能あるイケメンたち(●^o^●)の演奏を聴く機会を逃すとはね。

バッハが今の時代に生きていたら、●●(名前は忘れましたが音響機器)を使うに違いないと内田さんは言った。
かみむら氏はジャズメンで、村中氏はクラシックの演奏家のようだ。
ジャズとクラシックが、二本の輝く柱のように建っていて、その間をキラキラした稲妻や電波が行き交うような…。
ジャズとクラシックと、コンピューターも使い、実験的な演奏と内田さんは言っていたのだが、まさに何かが生まれようとしている実験室のようだったと思う。

どんどんいろいろな試みをしていく内田さんはすごいなあ、アーティストだなと尊敬を新たにしたのだった。

すごいと感心ばかりしていないでわたしもどんどんいろいろ試みていこうと思ったのだった。


内田さんは、「Baroquevoice」というクラシックの演奏会も開催していて、この間は浅川太平氏古楽器での即興演奏や、リコーダーとチェンバロのデュオの演奏など、身近にすばらしい演奏を聴ける良い機会だと思う。次回は11月後半なのでぜひみなさんで行きましょう。生の演奏に触れるとても良い機会だと思います。

(柳川)

内海信彦展 Innerscape series : Multiverse 2009: ギャラリーK(京橋)

われらが先生、内海信彦先生の個展を見たのは初めてだった。私が先生と知り合って以来、もう絵は描かないと言い続けていたので、急に個展と聞き、拍子ぬけがしたくらいだった。

ともかく、ギャラリーKへ行った。ギャラリーの中の空気は、外の空気と濃度が違った。ここは先生の空間になっている、と思った。先生の体の中なのかもしれない。ギャラリーの中の空気は、緊密でありながら、知っている先生の温かさも感じられる。体温のような感じがした。
展示の前に、先生はたくさんの展示の図を書いていた。その計算と感覚から、緊密な空間が生まれたのだろうか。

このあと、川村記念美術館へロスコを見に行ったのだが、そこでロスコが自分の作品だけを展示する空間にこだわっていたことを知り、先生の展示を思い出した。ロスコの部屋にも、たしかに何か特殊な、体温のような、体内、胎内のような感覚があった。

丸い作品は、地球のように見え、それがたくさんあるということが何かを感じさせた。パラレルな世界がたくさんあるような感覚だろうか。

十字架型に展示された作品は、血や生命を感じた。

(柳川)

高梨豊 光のフィールドノート、コラージュ −切断と再構築による創造/国立近代美術館

先生に、私の絵のヒントがある、と教えてもらったので、見に行ってきた。高梨豊の写真は、街や、電車やバスの窓からの風景を撮ったものが、とても面白く感じる。私の好きな風景が多い。
私の場合、デジカメで写真を撮るだけではまったく満足できず、その風景を絵に描こうと思うのだが、今日の写真展は、写真だけでも充分いいなと思えるものがあった。つまり、写真そのものがこんなに、美しいというか、デジタルではない写真、そしてきちんと現像してあるものというのは、作品としての力があるんだな、と初めて感じたように思う。写真の中に吸い込まれそうな感覚がある写真があった。
私はデジカメしか持ってないし現像もしたことがないから、写真では作品になりえない。

だが、先生が言っていた、写真と絵の違いはまだわからない。
写真でいいじゃないか、と先生が言った言葉の意味が、まだ理解できていない。

コラージュ展のほうも、とてもおもしろかった。まず紙が糊でとても丁寧に貼ってあるのを見た。瑛久のコラージュも、おもしろかった。体の部分を使って、古代のビーナスのような形がつくられているものが特におもしろかった。
紙きれを貼り合わせることが、考えて描いた絵よりもずっと何か、尖った鋭いものを表現することがあるのだな。
自分で絵を描くことはある意味安心感がある。偶然の力を使うことはとてもスリルがあり恐いことだと思う。

先生が言っていた、星野眞悟の作品は初めて見たが、自分の表現したいものにすこし似ている気がした。心の中の宇宙のようなもの?
(柳川)